糸井重里「ほぼ日刊イトイ新聞の本」

自分用メモなので、話があっちこっち飛ぶ。


ほぼ日刊イトイ新聞の本 (講談社文庫)

ほぼ日刊イトイ新聞の本 (講談社文庫)

付箋も貼ってあるのに内容をまったくといっていいほど覚えてなかったんだけど、前に読んだっけ…と怖くなるくらい本当に覚えてない。多分読んだ時は、あんまりピンとこなかったんだろうな。アホすぎて。
 
でもほぼ日のことはずっと気になってて、多分自分のやりたいことってこういうことなんだろうなあ、と最近その興味の理由に気づいた。
急に思い立ってはじめたnoteにも書いたんだけど、やりたいことってずっと「お店やさんごっこ」であったり、「自分雑誌」であったりしたんだろうな。

美術の専門学校に通ってる時からずっとそうのやりたい、と思っていたけど、フワフワしたイメージしかなくて、うまく実現できずにいた。

「ほぼ日刊イトイ新聞の本」を読んで(読み直して?)、もう20年も前から同じことを考えて、実行して、成功してる人がいるんだなあと、心強くなるような逆に不安になるような。
糸井重里ですら不安になり、糸井重里レベルじゃないと成功できないということを、どう受け止めるべきか。

本の中で、糸井さんがどういう心情で何をやったか、という記述がとても興味深い。
「やりたいことを、やりたいだけ、やりたいようにやれる」という環境を作って、それを商売として成り立たせることができるのは、本当にすごい。

ちょうどTwitterでもこういうのが回ってきて、
togetter.com

おいおい朝松建さんレベルでもこんなことになってんの…と思いつつ、少女向けラノベ業界でもまあ10年以上前からすでにこんな状態、BLはいわずもがな(ただBLは市場が狭まった結果、むしろ『読む人は何書いてもそこそこ読んでくれる』という状況にもなってる気はする。売り上げの天井はもうどん底まで下がってるけど、『作家が書きたいものがあまり書けない』って感じにはなってないんじゃないかなあ。周りに同業者が少なすぎて、単に私が『そもそも売れ線のものが書けない』と諦められていて、それでも本を出せる体力の残ってるとこしか相手にしてもらえてないだけなのかもしれんけど)、エンタメ業界はこのまま先細り死んでいくのではないかという感触しかない。
エンタメ業界なんて、ここ数十年の短いジャンルだし、消えていくのもやむなしかと思ったりしていた。

ただその閉塞感を打ち破ったのがスマホで、ガラケーで一コマ一コマを震えながら見せていく電子書籍が出てきた時は「もうおしまいだ」と思ったものだけど、スマホやタブレットで紙の単行本と何ら遜色ない、むしろ老眼の人には拡大できる分やさしい書籍が扱えるようになって、かなり先が明るくなってきたというのも、個人の感想。

Twitterやブログを持っていれば、宣伝は個人でできる。
もちろん出版社がきちんとバックアップしてくれたり(使い古された特典商法とか、とりあえずこれをやっておけば営業に「がんばってますアピール」が出来て単行本が出せる、というやっつけの方法ではなく)、書店に面陳してもらえることに比べたら、塵ほどの効果だろうけど、そもそも出版社に力を入れてもらえなかったり、書店では棚差しどころかそもそも入荷すらしない作家だったら、SNSで数千人、数百人のフォロワーに向けてうまくアピールした方が、まだ目に留まる確率が高いのではと思う。
で、売れたところでやっと出版社が宣伝してくれて、もっと読んでもらえるようになる。
宣伝してもらえたら売れるけど、売れてなきゃ宣伝してもらえないってどうしようもない状態を、作家個人でどうにかしなきゃいけない地獄かな。

上のTogetterを見ていたらこのまとめも目に留まったんだけど、

togetter.com
今後必要なのは、本当に、作家個人のSNSでの立ち回りだと思う。
「そんなの編集がやることで、作家個人の仕事じゃない」という意見もわかるけど、でも個々の編集者が今の流れについていけてるかっていうと、体感として、全然そんなことがない。
もう10年以上前から、ネットでの書籍の扱い方や宣伝の仕方についてさんざん出版社関連の人に話してみたけど、まともに聞いてもらえたためしがなかった。何もかも他人事で、「でもそういうの、前例がないから無理ですよ」で終わる。

出版業界の状況が激変しているんだから、併せて編集者の役割を変えていかなきゃいけないのに、金と人材投資しなくちゃいけないところに、全然金かけてねえなあ…というのが、零細作家の正直な感想。
昔は雑誌にひとつ看板があったら、それだけで本が売れるから、あんまり売れない作家でもおこぼれで仕事がもらえた。
でも今雑誌も売れないし、単行本も売れないし、「売れてるもの頼り」のビジネスが通用しなくなってる。
なのになぜか、かたくなに商売の仕方を変えない編集部が多かったりする。

これももうずっと言ってることだけど、今の出版業界の流れを劇的に変えられるのは、出版社とか出版関係者じゃなくて、出版とは何ら関わりのないベンチャー企業か、プログラム弄るのが好きで行動心理学に対していいカンを持ってる個人のプログラマだと思う。
「出版とはこうあるもの」で何十年もやってきた出版社は、もう一から新しいことをはじめることは体力的にも人的資源的にも無理だから、出版とは一見関わりのないシステムが黒船みたいにガーンと現れて、既成概念をぶち壊して、あたらしい流通方法を一からというかゼロからはじめるのを見て、大手企業がそのシステムと提携するか、丸ごと買い上げて新しい部署を作る形になるんじゃないかな。
足りないのは金や時間じゃなくて、知恵とか思い切りとか発想の転換なので、やり方さえわかれば真似くらいはできる。
と思いたい。

本の感想から話がずれてきたな。
 
糸井さんはしくみを作ったり、しくみを作る才能がある人との縁が、とてもあるんだなと、本を読んでしみじみ感じた。
小説だって漫画だって、このご時世で売れるために足りていないのは、才能とか努力じゃなくてしくみ、システムなのだ。
「娯楽が増えて本を読む人が減った」っていうのは、一部真実で、でもそれが大きな原因じゃないと思う。
そもそも娯楽っていうのは、媒体が違うだけで、中身はずっと変わらない。読んで、見て、感じて、楽しい気分になれるのが娯楽だ。
売れるものの中身は大昔から今に至るまで何も変わらない。多様性があるのも変わらない。
じゃあ何が変わったのかっていうと、それを届けるしくみでしかない。
いろんな出版社のやり方を見ていると、「読み手にすんなり本を読ませない努力」をしているようにしか思えない。
一コマ一コマ読ませるガラケー漫画が出てきた時、なぜ「もうおしまいだ」と思ったのかと言えば、漫画という表現方法に対してそれが絶望的に向いてない読ませ方だったから。
「いくら漫画がおもしろくても、こんな読み方しかできないなら読まない方がマシ」くらいのことは感じた。
ガラケーで漫画を読んでもらうための苦肉の策だったんだけど、スマホなのに未だに一コマ一コマ移動して、噴き出しが大きくなって、エロシーンの挿入時や感じてる時にブルッと震えるしくみを使い続けているところは、一体何を思ってそうしているのか、気が知れない。でももしかしたら、ガラケー漫画から入った人が、その方がいいって思ってるのか…?
(縦スクロール漫画が流行る方がはるかにまっとうな流れだと思う。ので、今縦スクロール漫画がひとつのジャンルとして確立されていっているのは、いいなと思う)

本を手に入れてページを開いて読むまでのハードルがあまりに高すぎて、内容と釣り合わないのだ。
それほどまでに、読者の手に渡るまでのプロセスに無駄がありすぎる。
スカッとしたいための娯楽なのに、最終的にストレスの方が大きいのって、もう娯楽ではない。

糸井さんがやってきたのは、そのハードルを取っ払って、「作りたいものを作り、それがほしい人のところに、ほしいものが行く」というしくみをしっかり作ることなのだと思っている。

規模の違う話を並べてするのは恐縮だけど、私も小説なりを書く時に、自分がマイナーなのもニッチなところにいるのは充分承知していて、でもある程度それを求める人がいるのも知っているから、「自分が好きなものを書いて、それを好きな人のところに届ける」ことをずっと目標にしている。というか、それを信じてなければ、作家なんてやってられない。

そのしくみをもう出版社はうまく作れないから、作家個人が頑張るか、フリーの編集者…編集者っていう呼び方以外の職業でそれをやる人に、どんどん出てきてもらうしかない。
出版社や編集が不要だとは思わないので、作家と読者がダイレクトに繋がるだけのしくみでは駄目というか、一時はよくても早々に破綻すると読んでいる。
(今ちょっと流行ってる支援系サイトとか、クラウドファンディングとかも興味深く眺めてるんだけど、支援系はもう単に「作品を売る場」にしかなってなくて、クリエイターの将来を支えるシステムにはなれていない。将来的にどうなるかはわからんけど。)
個人個人が好きなことをやって、大きな流れに繋いで、欲しい人のもとに情報と商品が届く状況に、全体がならなければいけない。そうしないと作家にも読者にも先がない。
そのためにはやっぱり、作家と読者の間に、出版社以外の大きなポンプ(フリー編集者?)もしくは変換器(しくみ・システム)が絶対必要だ。

ほぼ日のような組織がたくさん出てきて、出版社はそれを流通するための受け皿になる、というイメージ。
「ここまで利益が出なければ取り扱いませんよ」ではなくて、「広く流通させる手伝いをするかわりに、このくらい利益をください」と出版社の方がチョイスしていくというか。
作家単位である程度の収入を得られるしくみを作った上で、さらにそれを伸ばしてもらう形にすれば、誰も損はしない。

(このへんのこともいろいろモヤモヤ考えてるので、あとでメモしようというメモ)

そして、そうしたらもう、編集が作家を育てるなんて幻想を誰も抱かずにすむ。
その才能がある編集者はさっさと独立して、個人的に、作家をプロデュースする仕事に就いた方が、うまく回る。
作家が求める「優秀な編集」、編集が求める「売れる作家」は、双方のイメージ上にしかなくて、すでに役割が変わっているのに、そこにしがみついてたって仕方がない。
間違いはまずそこから起こってる気がする。
バクマン。を読んだ作家の感想が「あんな有能な編集なんかいるはずないし、いたとしてもジャンプみたいな大手企業のごく一部の選ばれし編集者だけだ」で、編集者の反応が「あんなに努力してちゃんと〆切を守って売れるものが書ける作家なんてファンタジーだ」だったあたりで、もう諦めるべきだったのだ。※個人的なリサーチです。
ていうかバクマン。がエンタメ作品と成り立つ時点で、あんな編集も漫画家も全部ファンタジーなんだよ、と、私はバクマン。に絶望していた。理想が詰め込んであるほど悲しくなった。フィクションとしてはめちゃくちゃおもしろかったけど。

バクマン。 モノクロ版 1 (ジャンプコミックスDIGITAL)

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貼っとこ。

…みたいないろんなことを考えつつ、個人にできることなんてたかが知れているので、私は私のずっとやろうとしていたことを、ぼちぼちはじめている。本当に手をつけただけだけど。
でもフワフワ考えていたことが、「ほぼ日刊イトイ新聞の本」を読んだことで少しクリアになったので、イイタミングで本棚から引っ張ってきたなと思う。

本当の本当にやりたいことが作家としての自分にあるのか、読み手としての自分にあるのか、ようわからんくなってきたよ。