何奴

Web小説サイト作成と電子書籍化についての覚え書き

女王の矢を再読して気づいたことメモ

新訳 女王の矢―ヴァルデマールの使者 (C・NOVELSファンタジア)

新訳 女王の矢―ヴァルデマールの使者 (C・NOVELSファンタジア)

センダーが死んでから(テドレルとの戦いから)最低でも15年、やっぱり印象よりアルベリッヒ先生は若いっぽい。

「エルカースと同期」って記述があって、エルカースが「老人」って扱いだったからアルベリッヒも老人枠なのかと思ってた。中年くらいだったか。

突然出てくるイルサ

「ケレンから既に聞いていた・テレンがイルサの帰りを待っていた」という前提で登場するけど、そういう記述は特になし。ここに毎回引っ掛かって、前にイルサの話が出てなかったか探しちゃうんだよな。
テレンの名前やテレンケレンがイーヴンディム出身であることなど、読者的には初耳であることが突然さらっと出てくるので最初に読んだ時は戸惑うし、二度目以降も「読み飛ばしたっけ?」と不思議に思ってページを遡ってしまったりする。
Cノベルズ版は、多分話の前後関係なく原文を大事にしてそのまま訳すタイプの人が訳してるからなんだろうけど、文章として成り立ってなかったり(英語なら意味を成しているであろう単語や慣用句などが、特に日本語ふうに置き換えられることなくそのまま書かれてるっぽいところがちょくちょくある)、人称代名詞が誰のことを指しているのかわからないことが多かったり、まったく同じ文章が2行後にまた出てきたりすることが多くて、やっぱりたびたびページを繰る手が止まってしまう。
造語の多いファンタジーを訳すってものすごく大変なんだろうなあ。
訳してもらえるだけありがたいので不満ということではない。

カンターがカントールと訳されている。もしかしたら、Cノベルズの途中から「山口さんの訳に合わせる」って説明どっかで読んだかも。

表記ゆれは再版かかれば直るかなと思ったけど、再版どころか出ると割とすぐ絶版になってしまって(多分)電子化する兆しもない…。
とうとう「銀の鷲獅子」で200ページ台なのに1000円の大台になってしまったので、いろいろ察するところはあるけれど、1冊3000円くらいになってしまってもいいから、日本での出版を続けていただきたい。

駄目ならいよいよ本気で英語を勉強しないといけなくなるのだろうか。
万が一そうなっても原本はKindleで買えるので絶望ではないんだけど、私の英語力が絶望的である。

ヴァルデマール年代記は詳しいwikiとかあると嬉しいけど、みつけられたことがない。
誰か作ってくれないかな〜。海外だとあったりするかな?

マーセデス・ラッキー「追放者の矜恃(上)(下)」

追放者の矜持 上 - ヴァルデマールの絆 (C・NOVELSファンタジア)

追放者の矜持 上 - ヴァルデマールの絆 (C・NOVELSファンタジア)

追放者の矜持 下 - ヴァルデマールの絆 (C・NOVELSファンタジア)

追放者の矜持 下 - ヴァルデマールの絆 (C・NOVELSファンタジア)

再読何度目か。余裕のない時は読んだことある本ばかり手に取ってしまう。
読まないことには死んでしまうのでどれだけ切羽詰まっていても読むのは仕方ない食事と一緒。

この時アルベリッヒ先生が何歳だったのか、タリアが学院に来た辺りのアルベリッヒ先生が何歳だったのかいまいちわからん。
追放者では「若きアルベリッヒ」と書いてあるから20代なのかなと思うけど、セレネイが10代で、このあとアホと結婚してエルスペスが7歳になった時には老人扱いになっている…ような…?
20代じゃなくて30代として、10年くらいあとで40代か?
アルベリッヒとカンターは年の近い兄弟とか同級生みたいでかわいい。

しかしオーサレン卿の名前が出てくるたびに奇声を上げたくなってなるな。ここまで何の救いもなく嫌いになれる悪役も貴重で、それはそれでいっそすがすがしい。実はいい人でした…とかやられても腑に落ちないし。ジェルヴィスなんかの豹変ぶりには最初マジかよって思った正直。許すには使徒の時の言動と釣合が取れなくて、今でもちょっと腑に落ちなかったりする。

オーサレン卿はもっと惨めに死んでほしかったけど、もう死んでくれただけでありがたい。死んでくれるとわかっているから読み進められる…。
ラッキー先生の本は、全然勧善懲悪じゃなくて、報われるところと報われないところのシビアさが好きだなと改めて思う。

マーセデス・ラッキー「最後の魔法使者シリーズ」

魔法の使徒上 (最後の魔法使者第1部) (創元推理文庫)

魔法の使徒上 (最後の魔法使者第1部) (創元推理文庫)

魔法の使徒下 (最後の魔法使者第1部) (創元推理文庫)

魔法の使徒下 (最後の魔法使者第1部) (創元推理文庫)

魔法の代償 上 (最後の魔法使者3) (創元推理文庫)

魔法の代償 上 (最後の魔法使者3) (創元推理文庫)

魔法の代償 下 (最後の魔法使者3) (創元推理文庫)

魔法の代償 下 (最後の魔法使者3) (創元推理文庫)

何度目かの再読。
苦難に次ぐ苦難の連続の物語。
比類なき魔法使い、比類なき美しさを持つヴァニエルに、思い付く限りの苦難困難が待ち受け、劇的な解決があるわけでもなく、なのに続きが読みたくてどうしようもないシリーズ。
ヴァルデマール年代記が全部そんな感じで、それでもタルマ&ケスリー・ケロウィンが主役のシリーズは、因果応報や敵が倒され困難が払拭されるカタストロフもあるけれど、『使者』の存在を前面に押し出したタリア・エルスペス・ヴァニエルが主役のシリーズは本当にすごい。えぐい。何を食べてどう暮らしていたらこんなひどいことを思い付いてそれを書いて出版できてしまうのだろうと毎度思う。
劇的な演出をする前に用意された助走的な辛さ…というわけではなく、辛いものは辛いという辛さ。感情移入はしないので(『使者』という設定がいろいろなものを超越しすぎていて、精神のありかたが全員普通じゃないので、感情移入しようがない)自分自身が身を切られるような辛さはないんだけど、「もういいじゃん、もうその辺で許してあげてよ」と誰かに懇願したくなる。

ヴァニエルは使命があったから、辛くてもやっていけただろうけど、ステフの辛さを考えるともうたまらない気持ちになる。
最後の最後、零落れた老人扱いされるところもまた、容赦がなくてすごい。

これ先に読んでたから乗り切れたけど、ヴァンとステフのその後を知らないまま魔法使者シリーズを読んでいた人がいるとしたら、どういう気持ちで読んでいたんだろう。

世界観の作り込みとエピソードの見せ方がすさまじいんだろうなあ、と、毎度一気に読み終わって冷静に登場人物の身に起きたことを思い返しては感じ入る。
そこ! そこをもっと詳しく! というところが潔く省かれてて、アレッ!? てなったりするのもまたおもしろい…。

氷室冴子「いっぱしの女」

いっぱしの女 (ちくま文庫)

いっぱしの女 (ちくま文庫)

たしか氷室さんのエッセイの中では初めて読んだ本。
自分の本棚になかったので、母の蔵書だったのかな。
改めて読みたくなって買い直し。
氷室さんのエッセイの中では一番好き。一番飾りがなくて、「エッセイを楽しんでもらうぞ」という気持ちより「今書きたいことを書く」という気持ちが強く出ている…ような気がする。

氷室さんはいつも戦っている人だったのだなと思う。
少女小説」「女性作家」「女性」という枠組みで自分や、自分と同じ場にいる人を見て、悪意なく殴り掛かってくる人たちと。

電通勤務で過労死した高橋まつりさん、飛び降りる直前にWebの日記に遺書をしたためた二階堂奥歯さん、あと最近話題になってた元電通勤務(なのか?)のはあちゅうさんなどの話を目にするたび、(一部の)女性が(一部の)男性からいかに悪意なく、時には善意でパワハラやセクハラを受けているのかということについて、近頃よく考える。

初めて読んだ時は子供だったので全然そんなこと考えなかったけど、今回読み直して、一番頭に残ったのはそのあたりだった。

城平京「名探偵に薔薇を」

 

名探偵に薔薇を (創元推理文庫)

名探偵に薔薇を (創元推理文庫)

 

 逆算して書いた小説のようだな、と思っていたけれど、解説を読んだらその通りだったので、納得。

メルヘン小人地獄、という語感がとてもメルヘン。

お姫様の物語もとてもメルヘン。

でも一部と二部でジャンルが違う感じ。

 

名探偵にはしあわせになってほしい。

そうでなければ読者が(というか読んだわたしが)報われない。

市川春子「宝石の国」

 

 市川さんはデビュー作がすごく好きで、その後の諸々にガツンとやられて、宝石の国は何か違うなーと思い一巻で止まってたんだけど、アニメを観て、いやいや普通に好きなやつだ…と今さらまとめ読み。

いろんな人をオタク、いや、創作者にしてしまう作品だろうなと思う。

 

ところではてなのアプリはAmazonの情報めちゃくちゃ貼りづらいですね…。

朝井リョウ「桐島、部活やめるってよ」

 

桐島、部活やめるってよ (集英社文庫)

桐島、部活やめるってよ (集英社文庫)

 

 これも男性作家で、女子高生の一人称があるけど、特に違和感もなく読めた。

この違いは何だろうと思って少し考えて、多分この本では私の好きな「少女の残酷性」が描かれてること、前に読んでしっくりこなかった本はそれがなかったことだなと結論づけてみた。

 

卯月の雪のレター・レターに出てくる少女たちにはその残酷さがなくて、「姉」「許す立場の者」という描かれ方をしていたような気がする。

 

ちょっと話はずれるけど、卯月がどうこうというのではなく、男性ミステリ作家が描く相手役の女性が往々にして「母性」のかたまりであることについて、常々不思議に思っている。

という話を友人としていて、「何か心に傷持ってるんでは?」と言われて、成程となった。包み込んでくれる母性が必要なんだな、傷ついた(一部の)男子には。

書き手のことを指したのか、ミステリの登場人物のことを指したのかはわからないけど、でも一部のミステリ書きには探偵役(もしくは語り手)=自分というようなところがあるので、どちらでも同じことか。*1

 

閑話休題

 

言ってることは正しいんだけどな、外見が気持ち悪いからなんだか正しいと認めたくない。

 たとえば沢島亜矢のこういうところ、女の子が女の子であるというだけで「気持ち悪い」を他人を軽やかに断罪できる、でも悪いことだと決めつけるところまでは自分に自信のないところが、とても好きです。

 

そして自分に自信のあるタイプの女の子は、作中で「可哀想だ」と哀れまれている中のバランスがまたとてもよくて、どの高校生もとてもわたしにとってはリアルで、とても読んでいてしんどかった。

 

ときおり、心理面でちょっとロマンティックすぎる描写にひるんだりもしたけど、女の子はそんなんじゃない、と言えるような人生を送っていないので、「もしかしたらわたし以外の女の子はそうやって生きてきたのでは…」ということに対するおびえです。

高校時代、普通科の子に「休みの日は何してるの?」と聞いたとき、「雑誌を読んだり、音楽を聴いたり、好きな男の子のことを考えてる」って言われて体育科のわたしが震え上がったのを思い出した。わたしは何をやってたかですか? 筋トレですよ!

 

わかっていたことだけど、部活がテーマなあたりで、高校時代の部活動というものに怨念を持っているわたしにはしんどすぎて、特に小泉風助の章は苦しくて、いやあほんとにしんどかった。小中高と部活で部長をやり続けた身には嗚咽を漏らすことしかできなかった。

桐島は小泉みたいに見ててくれる人がいてよかったね!

わたしにはいなかったよ!

もしかしたら気づかないだけでいたのかな。

だったら多少は救われるがたぶんそんなことはない。

 

桐島は帰ってこないだろうなと思う。わたしなら帰らない。

帰らない以前に、スポーツ推薦で入った高校で「部活を辞めるということは学校を辞めるということだからな」と最初に釘を差されていたので、辞めないか、学校ごと辞めるかの二択しかなかったのだが。

いやわたしの話はともかく、一生懸命部活やってきたなら、頑張ってた分だけ「あ、別に頑張らなくてもよかったんだ」と気づいてしまう気がする。

部のために、みんなのためにやってきたけど理解されず、ひょっとしたら俺がいない方がうまくまわるんじゃねーの別に全国行くような部でもないし、と一瞬でも思ってしまったら戻れないのではないだろうか。

あとになって、孝介が「やっぱ桐島じゃねーと部長務まんねーよ」とか、風助が「気づいてたのに助けられなくてごめん」とか言ったが最後、桐島は何となく困ったように笑って、「いや、そういうんじゃないから…」って言って、もう二度と体育館には戻らない気がする。

桐島のこと知らんからわからんけど。

続編あって戻ってきてたり、作者が戻ってきますとか言ってたらアホみたいなブログだな。

みんな心の中に桐島を持っている。

 

進学校の運動部ってどんな感じなんだろう。

多分、わたしが通っていた高校で部長がやめるという状態とはまったく深刻さが違うだろうなと思う。

桐島不在の方が深刻だという話です。強い人が山ほどいて、いつでも俺が俺がとチームの王様になりたがる場所で、王様一人が欠けたところで別に何も変わらない。と思う。

 

いや、桐島が部活やめても深刻というほど深刻ではないんだろうけど、少しずつ波紋が広がって、少しずつ誰かに関わっている学校という世界の描き方がおもしろかった。しんどいけど。卒業して百年くらい経ってる気がするのにまだしんどい自分にびっくりだよ!

 

映画はどういう感じだったんだろう。

 

*1:善し悪しについて語っているわけでもなく、かつ、一部の、と随所につけているところを汲んでほしい

つかこうへい「あえてブス殺しの汚名をきて」

 

あえてブス殺しの汚名をきて (角川文庫 緑 422-5)

あえてブス殺しの汚名をきて (角川文庫 緑 422-5)

 

 何度目か覚えてない再読。

毎回、読むたびに膝をたたきすぎて骨が砕けそうになる。

つかさんの書かれるものが好きで、たまに、もう新しいものが観られないのかと思うと絶望的な気持ちになる。

模倣はできても、唯一無二の人だった。

 

今のSNS上のフェミニストだのミソジニーの台頭について意見を聞いてみたかった。いろんな意味で。

相沢沙呼「卯月の雪のレター・レター」

 

卯月の雪のレター・レター (創元推理文庫)
 

 名前から勝手に女性作家と思って読んでいたんだけど、少女の造形に違和感があって、途中でWikipediaを見たら男性作家だったので、なるほど、となった。

 

いとうせいこう「ノーライフキング」

久々に読み返す。

 

 

ノーライフキング (新潮文庫)

ノーライフキング (新潮文庫)

 

 まだ、どうしても、子供の視点で読んでしまうので、これをノスタルジックだとか、大人になるための子供時代との決別的な話だと決めつけられると、やたら反感を持ってしまう。

ネット時代の病を先読みしたわけでもない。

 

リアルデスカ?

リアルデス

 

答えは出ているしこれはリアルの話でしかない。

おとなはなにもわかってないと、初めて読んだ子供の頃から思い続けている。

 

自分が本当に子供であっても勇者にはなれずに家の中で自爆してたなと思う。

ライフキングの子供たちは個ではなく群体だったのはたしかで、子供の私は全然人と交われずに皆が知ってる学校の話もクラスの話も町の話も知らなかった。

まことたちがうらやましい。